


浄土真宗本願寺派(西本願寺)の寺院です。現住職宗信で一六世を数えます。
開基は元和五(一六一九)年であるが、そこに至るまでは紆余曲折を経ている。
光徳寺の元祖慶願(俗名木下出雲)は、豊後大友氏の家臣であったが、キリスト教への改宗を要求する大友氏の命令を拒否し続けたのち、最終的に自ら切腹する。
残された妻子は落人となり肥前の国まで逃れるが、乱世が終わると筑後の国に帰国。天文年中(一五三二~五五年)には、慶願の子慶安が三池内山に光徳寺の前身となる仏閣を建立する。
内山の仏閣はのちに今福村に移され、家督も慶安の子祐願に譲られた。祐願の死後今福村の仏閣跡地を継いだのが、光徳寺開祖となる、祐願の子祐泉である。
元和元(一六一五)年、江浦村光萬寺を開いた兄祐恩より檀那百軒を譲り受けた祐泉は、同五(一六一九)年十一月十四日、宣如上人より「光徳寺」の寺号を頂戴し、光徳寺を開基する。
寛永十九(一六四二)年には、竹井村大庄屋長岡次右衛門および惣門徒中の依頼により、現在の地竹井(竹飯)に寺は移され、ここに名実ともに光徳寺の歴史が始まるのである。